評価の問題ともかかわるのだが、「これはだれそれじゃないとわからない」という仕事をビジネスの現場から追放することこそが事務職の改革だ。むしろ、そのように仕事を囲い込んでしまう人間が業務の標準化とスピードアップの足かせとなる。
減らすことが可能な仕事を後生大事に時間をかけてやっている人間を高く評価する風土がある限り、組織の効率は上がらない。業務を早く正確にすることも効率アップになるが、やらないほうがもっと効果的だろう。不要な業務を徹底的に減らし、フローを最短にした上で、残ったもののスピードアップをするのが理想だ。
ところが、一つの業務に習熟してしまった人間にはそれは難しい。自分が何年も携わってきた仕事を否定されるような気がするからだ。ネットワークに繋がったPCが全員の手元になかった時代に必要だった業務や、汎用機で作っていた資料も今は不要になったものが多い。ところが、それを減らそうという声は、ベテランからは聞こえない。数百枚の月次資料から目的の数字を拾い出して転記する速度を磨くことの不毛さに気付く人間は、俺が勤めている会社にはいない・・・月次の資料なんて要らんから、データだけPCに落としてくれたらいいのに、それはできないという低脳な情報システムが足枷になってるなんて、普通は思いもしないだろうが、これがITユーザー企業の実態だ。
以下のリンク先のエントリはぜひ読んで欲しい。まあ、ここを読みに来る(Yahoo!からエンタの神様で検索して来た人は除くが)人よりも、blogという言葉すら知らない管理職や経営者にこそ読んでほしいんだが・・・
FlowerLounge:「馬と鹿の友人たち」~番外編:仕事をため込む人芸術や職人技なら理解できるが、プロダクトの生産にこのような人員配置はまったくよろしくない。印刷所に勤務している僕の知人も、ある印刷機を動かせるのが、彼を含めてふたりしかいないため、必ずどちらかが出勤しなければいけない、と言っていた。みなさんの周りでも、こういう話しはしょっちゅう聞くだろう。
繰り返しになるが、こういう事態は自分や管理職の恥と自覚したほうがいい。特定個人しかできない作業を組織内の仕事に作りこむことにメリットはまずないだろう。
なお、このテの「仕事を抱え込む人たち」は、自分は真面目に仕事をしていると信じきっているし、他人から見てもそう思えることが多いので、なかなか発見されにくい。それに、近視眼的に見ればむしろ評価できるような仕事っぷりに見えたりもするので、なおさら扱いにくい。真面目で小器用になんでもこなすタイプが多いのも厄介な点だろう。
蛇足になるが、職人芸を否定するわけではない。むしろ、職人芸についての評価が低すぎると思っている。どうでもいい、誰でもできるような仕事ができることを職人芸のように評価してしまうから、その人にしかできない価値のある仕事が埋もれてしまうのだ。
仕事の中身を見直し、組織として継承していくべき業務を属人業務にしないことが重要なのだ。一子相伝の職人芸が必要ならば、その職人さんに依存しなくてもいいように後代を育てることに注力させるべきだ。そのためのコストは組織が負担するしかない。それが惜しい程度の仕事なら最初から職人芸ではないと考えるべきだ。
Posted by panhead at 2004年12月27日 07:05 | トラックバック最近は、私しか出来ないことが多くて重圧です。
誰でも出来るようにしたいのですが。。。出口が見つかりません(´д`)
スパムに埋もれていて気付かず失礼しました。
それが正しく処遇につながっていればいいんですが・・・
後、組織のバックアップ体制ですね。一人が倒れたら仕事が回らなくなるのは組織として問題があるということを管理者が気付いていないケースが多いようです。
Posted by: panhead at 2005年01月05日 00:10